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【刑法5】監禁罪の保護法益、因果関係における被害者の行為の介入

今回は、事例で考える刑法15を検討していきます。参考判例は、最決S33・3・19、最決H15・7・16および最決S45・7・28である。

 

今回の事例はシンプルであるが、的確に論点を指摘し、判例および学説に沿って妥当な判断を導くための検討が必要になる。

事例としては、XがAを強姦する目的で、車を運転し「送るから、乗って」とAに言い、Aがこれを信じて乗車し、帰路と違う方向に進むことに気づき降ろすように求めたが停車しなかったことから、ドアを開けて降りようとしたところ、Xは車を停車し、Aが降りるのを阻止すべく引っ張り合いになり、結果としてAは車外に逃げたがXが追ってくることからつかまれば何をされるかわからないと思い、道路を渡ろうとして途中で他の車に轢かれ死亡したというもの。

 

 まず、気がつくのがXがAを乗車させ、車を走らせたことにつき監禁罪およびわいせつ目的誘拐罪が成立するかという点、さらには、この時点での強姦罪の実行の着手が認められるかという点である。そして、最終的にはAが死亡していることから、これをどのように評価するかという点である。

 

 XがAを乗車させ、車を走らせた行為について

まず、XがAを乗車させ、車を走らせた行為について検討していく。Xのこの行為は、監禁罪の構成要件に該当するようにも思えるが、Aとしては自宅まで送ってもらえるという認識しかなく、監禁状態にあることを認識していないと言える。そうであれば、監禁罪の保護法益を侵害しているかの判断のため、これを確定しなければならない。

 

ここでは、有名な現実的自由説と可能的自由説の対立があることを説明し、可能的自由説に近い判断を判例がしていることから、現実的自由説における不合理な事例を考え指摘し、可能的自由説を採りたい。つまり、実際にAが移動の自由の侵害が生じていることの認識は不要であり、Aが移動の自由を行使しようとしてもこれができなかったという状況においては、法益侵害が生じ、監禁罪の構成要件該当性が認められると言える。

また、この乗車させる行為は、XがAを強姦する目的で自己の支配下に移転させるという意味でわいせつ目的誘拐罪の構成要件にも該当する。

 

では、さらにこの乗車させた段階でXのAに対する強姦罪の実行の着手を認めることができるか。これも有名な判例であるダンプカー事件をもとに検討する必要がある。

 

この判例で強調されている部分は、被告人が被害者をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階において、すでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるというところである。このような方法については、一般に、一連の計画の最後の時点を基本的構成要件該当行為と解し、それに密接する行為までやれば実行の着手を肯定してよいという考え方がなされるようである。強姦罪においては、被害者の反抗を抑圧する程度の暴行脅迫が必要であるが、これは、実際に姦淫行為がなされる直前において認められるであろう状況であり、たとえダンプカーへの引きずり込みであってもこれと認めることは困難である。そこで、ダンプカーへの引きずり込みがこの構成要件該当行為と密接に関係する行為であると考え、これを行っている段階ですでに実行の着手を認めたと考えることができる。そして、判例のいう客観的な危険性が明らかに認められるという判示は、この密接性に関してのものと考えられる。

 

本件についてもこのような考え方をしてみれば、XがAに乗車を勧めた段階(そして、これに応じて乗車した段階)では、いまだ客観的な危険性が明らかに認められるとはいえないため、強姦罪に密接な行為とはいえず、実行の着手があったとはいえない。しかしながら、その後Aが降りようとしたところでXがこれを防ぐために引っ張り合いをした段階では、この引っ張り合いの結果降車することができなければ姦淫行為に向けられた暴行脅迫がなされる客観的な危険性が認められると考えられ、この引っ張る行為は、構成要件該当行為と密接な関係があるといえ、強姦罪の実行の着手を認めることができると考えることができる。

 

Aが道路を渡ろうとして死亡したことについて

では、Xに強姦罪の実行の着手が認められると考え、逃げ出したAが道路を渡ろうとして死亡したことをどのように評価すべきか。すなわち、Xに強姦未遂ではなく、強姦致死罪が成立するかという問題である。

 

強姦致死罪は強姦罪の結果的加重犯であるが、基本犯たる強姦罪は未遂であってもよい。また、判例は結果的加重犯の成立には加重結果に対する過失は不要であり、因果関係が認められることで足りるとしていることから、本件において、Xの強姦未遂とAの死亡の間に因果関係が認められるかを検討する。

 

ここでも、有名な判決を思い出すことができる。被害者による高速道路侵入事件である。この判例をもとに考えれば、逃げる他方法がない状況で、Aが道路を渡ろうとしたことが、それまでの状況から不当なものであったかどうかを検討して、結論を出すことができるだろう。

 

本事例の解説では、この被害者が危険を承知でその行為を選択したことをどういった法的構成で考えるかが示されていたので、これをまとめておきたい。まず、この道路を渡るといった回避方法においては、被害者自身がこの行為の危険性を認識しているというところに着目することができ、そうであれば、これは被害者の危険の引き受けがあったとして、本件で言えばXに責任を帰属することが否定されるのではないかということが考えることができる。しかしながら、本件のように被害者が危険を引き受けなければ、より重大な危害を避けることができない状況がある場合に、危険の引き受けの理論によって責任帰属を遮断することは許されないだろう。高速道路侵入事件ではこのような視点があったのではないかと考えることができそうである。

 

 

この問題の解説を読んだ瞬間に、島田先生が執筆されていないことがわかる程度には、自分がこの解説を書いた方との相性が悪いことが確認された。学生に苦言を呈する割には自分が答えを持たない問題にたいしては答えることを放棄する、自己満足の解説を書き連ねて学生たちを困惑させる、本当に信頼に欠ける。

島田先生亡き後、この本の改訂はなされないであろうが、たとえなされたとしても、買う価値は見出せないだろう。