【憲法5】知る権利

今回は、事例研究 憲法 第2部問題4を素材に知る権利について考えていこうと思います。参考判例は、富山県立美術館事件(天皇コラージュ事件・名古屋高裁金沢支部判H12・2・16)と、最判H17・7・14です。

 

この問題を読んだときは、論点らしい論点(普段やっているような審査基準に関してのもの)を見つけ出すことができずに、悩んでいたけれど、三段階審査の第一段階での保護範囲の確定としてXが何の権利を主張するか、これを根拠づける法的構成はいかなるものかという点が本問の主題であった。

 

まず、主題とは異なるが、問題においても問われているため考えてみるのは、本件においてXが提起すべき訴訟についてです。自分はまずもってこの美術館での展示物と特別観覧許可申請という方法を知らなかったため、本当にこの申請で「世界の起源」を観覧することができるのだろうかと条文を読んで頭を悩ませました。その点は置いておいて、この特別観覧許可申請が認められれば観覧することができるとれば、本件処分に対しての取消を求めることになりそうです。さらには、取消訴訟と併合提起するかたちで許可処分の義務付けも求めることがXの要望を叶えることができるのではないでしょうか。実際、この美術館の展示物と特別観覧許可申請不許可処分の点については富山県立美術館事件でも無効確認訴訟と義務付け訴訟が提起されているようなので、妥当なようです。

 

では、次に主題たる知る権利について考えていきます。

 

Xによる権利の主張

Xとしては、クールベの「世界の起源」をこの目で見たいという気持ちから、特別観覧許可申請をしている。そしてこの申請に対しての不許可処分は、Xの右のような要求を拒むものである。このような場合にXが憲法上何らかの主張を県立美術館にいうことができるだろうか。

 

検討の段階では、ここで主張することができるとすれば、21条1項の知る権利か23条の学問の自由および13条の幸福追求権が思いつきました。もしかするとXの主張の段階ではこのいずれかに限定する必要はなく、これらの憲法上保障された権利を考慮すれば、美術品の観覧を求める(ないし妨げられない)権利を主張することができるのかもしれない。ただ、Xが特に美術に関する研究者というわけでもなく、ただ単に興味があり観覧したかったというだけだと23条は当てはまりにくいかもしれない。もっとも、解説においてはもっぱら知る権利について検討されていたので、この点に焦点を当てて考えてみる。

 

知る権利

知る権利と呼ばれる権利は、21条1項の表現の自由から導き出されるというのはもはや自明のことである。では、この知る権利とはどのような性格を有する権利なのか、特に本件のような美術品の観覧請求を導くことのできる権利なのか、考える必要がある。

 

知る権利と呼ばれるものは、二つの側面を有する。つまり、国家情報開示請求権という面と知る自由という面である。この両面の理解について複合的な権利とするか、両者は独立した側面だと理解するかの違いはあれど、知る権利がこのような二つの側面を有することは何となく理解できる。重要なのは、本件において設定する知る権利がいずれの側面のものなのかで、法律構成に違いが生じうるという点である。

 

まず、国家情報開示請求権として知る権利を理解すれば、国家情報が自由に流通するものではないことから21条1項の保障する表現の自由の行使によって受け取ることができる情報ではなく、国家機関が保有する情報を開示請求するものであるから、21条1項の他に別段の立法が必要となり、本件で言えば、特別観覧許可申請を根拠づける条例がそれにあたることになるだろう。

 

また、知る自由として知る権利を理解すれば、表現の自由から生み出された美術品などの受け手として、さらに美術品が美術館というものを媒介にして表現されることが主であるから、知る自由の保障として作為請求権を導くことができるということになる。この点に若干の理解の甘さがあるけれども、知る自由の保障と考えれば別段の立法を待たず、21条1項の保障として特別観覧許可申請が可能であるということはわかる。

 

このXの知る権利の主張に関しては、それぞれ県立美術館側の反論を検討することになるが、ここで理解しておくべきは、三段階審査の第二段階、つまり権利制約(本件であれば不許可処分)の根拠となり得るのが県立美術館に与えられた専門性を有することからの裁量権であり、第三段階の制約の正当化根拠として考えるのは公共施設の管理権であるということである。もしかするとこの理解は危ういものかもしれないが、解説からはこのように読み取れた。

 

参考判例の検討

参考判例としてあげた両判例は、どちらも著作者が公権力(美術館ないし図書館)に自己の表現物を展示・購入を請求する憲法上の権利を有するものではないとしている。もっとも、後者の判例では、一度図書館に置いて閲覧された著作物を破棄することは、著作者の人格的利益を侵害するとしており、前者判例では否定された利益が認められている。これは、表現の自由著作者)と公権力との関係である。

 

しかしながら、知る権利を21条1項による保障と考えれば、著作者への権利侵害と同様に受け手の権利侵害も認められることになるのではないかと考えられそうです。もっとも、上述したように制約の正当化根拠として公の施設の管理者に与えられた地方自治法244条2項の「正当な理由」によりこれが許される場合があるとも考えることができます。ゆえに、最終的には、この正当な理由があったと言えるかが問題となるのでしょう。

 

参考判例天皇コラージュ事件では、正当な理由があったとして、適法としている。ここでは、同様に公の施設の管理権と利用者の集会の自由が争われた泉佐野市民会館事件と上尾福祉会館事件を考えて、本件のように申請者自身には危険性がなく、市民団体による抗議がなされているという点から、上尾福祉会館事件で取られた、敵対的聴衆の法理を用いて、本件事実に照らせば特段の事情なしとして違法な処分であったと評価することができよう。

 

 

知る権利をだけでここまで考えたのは初めてだった。この記事にはそれを落とし込めてない気がするけど、そもそも三段階審査の第一段階での問題、つまりXの主張する権利が憲法上の保障された権利なのかの検討も大事だということを確認できればとりあえずはよいかな。