【憲法6】表現の自由を制限する法令の文面審査

今回は、事例研究 憲法第2部 問題5を素材に、表現の自由を制限する法令の文面審査について考えてみようと思います。素材となる判例はありませんが、徳島市公安条例事件(最大判S50・9・10)、福岡県青少年保護育成条例事件(最大判S60・10・23)、広島市暴走族条例事件(最判H19・9・18)も確認していきたいです。

 

まず、事例について検討してみると、本事例では、選挙結果とマスコミの行う世論調査との関係が問題となり、これを規制する法律が成立した。その後、この法律に反し、世論調査の放送を行ったYテレビ局とY局報道局長が起訴されたという事案である。そして、憲法上の主張を考えるに、この世論調査法の法令違憲の主張と本事例における適用違憲を主張することになると思われる。今回はどちらの主張もそこまで技巧的ではなさそうで一安心ではあるが、表現の自由に対する法令違憲の手法である文面審査について、すこし考えてみようと思います。

 

その前に、解説においては、Yらが憲法上の権利として主張すべきものは何かという点について問題提起がなされている。つまり、本事例においても成立した世論調査法がYらの世論調査に関する報道を規制することは明らかであるが、法令違憲を主張する場合には、Yらの個別的な権利の主張ではなく、法令に含まれた人権制約一般を違憲として主張する必要があるため、この世論調査法がいかなる人権制約を行っているかを検討して、主張することが必要となるのである。

 

この点、解説では、広く表現の自由の制限であるとしている。この根拠は、世論調査法の11条において世論調査の公表等を禁止されている主体が「何人」とされており、報道機関および放送主体がに限られていないため、表現一般として世論調査の公表等を禁じているところに着目しているのである。このように、法令違憲の主張をかんがえるには、当該法令を精査する必要がある。

 

そして、世論調査法が制約するのは表現の自由であることとし、この違憲を主張する内容として、文面審査の手法としての漠然不明確故に無効の法理を使うことができる。つまり、世論調査法が禁止する「世論調査」という文言が何を指すのか不明確であり、表現に対する萎縮効果が生じるとして、表現の自由への制約として違憲となるというものである。この表現の自由に対する文面審査の方法としては、この漠然不明確故に無効の法理というものと、過度に広範故に無効の法理というものがある。これらの区別とその内容を以下で確認していこう。

 

漠然不明確故に無効の法理

まず、本事例でも主張することになる漠然不明確故に無効の法理について確認すると、これは、上記の通り表現の自由に対する萎縮効果を考慮して、不明確な文言の規定による表現の自由の制約を違憲とするというものである。

 

後述する過度に広範故に無効の法理との区別で考えれば、前者は手続的適正の要請から導き出されるものであり、後者は実体的適正の要請から導き出されるものである。区別と言っても両者は相互に補完し合うものであり、これを簡単に表せば「表現の自由に対する制約は、制約射程を限定し、法令上明確な文言で定めなければならない」ということになる。

 

では、不明確であることが表現の自由の制約となり、文面上違憲となるという主張に対する反論はどのようになるだろうか。単純に考えれば、不明確という主張に対しては、明確であると反論すれば良い。具体的には、徳島市公安条例判決がこの法理に対する判例としてあげることができる。もっとも、右判決は文言上の不明確さが憲法31条の求める適正手続の要請から告知機能を欠くという点を問題視していることに注意を要する。右判決は、

「ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきである。」としている。

 

つまり、漠然不明確故に無効の法理の主張に対しては、一般人の理解で不明確性を払拭できる旨の反論が適切であるということになる。

 

過度に広範故に無効の法理

他方で、過度に広範故に無効の法理というのは、文言の明確性は問題とならないが、規制される対象が広範すぎるため、表現の自由に対する萎縮効果を及ぼすため違憲となるという主張である。先に両者についての区別を述べたが、この法理が実体的適正の要請から導き出されるということは、つまり、制約対象が広範であり適正でない場合には無効となるということを意味する。

 

具体的には、福岡県青少年保護育成条例事件事件において問題になっている。これは、条例が禁止する「淫行」という構成要件が真摯な性交渉をも規制するものとすれば、規制が広範であるとして無効であるという主張がなされた。この事件では表現の自由が問題となったものではないが、条例における刑罰法規の広範性が問題となり、これに対する判断がなされているため、参考になる。本事例でも「世論調査」という一事をもって一律に規制することが広範であるとの主張が考えることができるのではないだろうか。もっとも、これはどちらかといえば、Yらのした報道が世論調査法の規制するものではないという適用違憲を主張する際の論証のような気もする。

 

では、この過度に広範故に無効の法理に対する反論はどのようなものが考えられるか。ここで登場するのが、合憲限定解釈という手法である。これは、確かに条例ないし法令が規制するものが文言上の広範に捉えられる場合があるとしても、実際に当該条例ないし法令が規制するものは、より限定された範囲内に解釈された規制であるから、合憲であるというものである。そして、この合憲限定解釈の根拠たり得るのは、社会通念に従った解釈である必要があり、右社会通念の判断は裁判所の裁量にあるとされている。

 

 

以上で確認したように、表現の自由に対する文面審査の手法とそれに対する反論は、区別して理解されるべきものである。この様な視点をしっかり持ち、問題を解く上できちんと判断できる様になる必要がある。