【憲法9】営業の自由、委任の範囲を超える規則制定

今回は、事例研究 憲法 第2部問題8を素材に、営業の自由と委任の範囲を超える規則制定について考えてみようと思います。素材判例最判H25・1・11薬事法施行規則事件です。

 

今回の事例はもっぱら薬事法施行規則事件を簡略化したもので、この判例自体も平成25年のものと新しいものなので、この判例について確認するとともに、立法の委任について基本的なところをおさらいしていこうと思います。

 

立法の委任

まず、この事例のように立法の委任を欠く、あるいは委任の範囲を超える省令・政令の制定がなされたとして無効の主張をする場合、どの様な構成をすることになるかを考える。これはある種統治の部分にも関連するもので、普段の人権論の範囲とは異なるため見落としがちである。

 

当然のごとく、国民の権利を制限し、義務の範囲を確定するためには法律の留保が必要であり、この法律を制定するのは憲法41条により国会ということになる。この権力分立の原則を厳格に貫けば、そもそも国会以外の機関による委任立法全てが認められないということになる。しかし、国民の自由を奪う刑罰においても法律の委任を受けることで政令においても科することができるとされているため、憲法が一切の委任立法を禁じているとは解釈することはできない。もっとも、国会が唯一の立法機関とされていることからも全権委任に等しい白紙委任は認められず、個別具体的な委任を要すると考えられる。そして、いったいどの様な委任であれば白紙委任とはいえず、個別具体的な委任であると言えるかという点が問題となる。

 

この点については、各事例ごとの判断とするしかないが、その判断要素として、政令等を制定する際に、法律が委任した範囲を合理的に解釈する必要があるため、制定された政令の適法性を判断する上でも、この法律が委任した範囲を合理的に解釈し判断することになる。

 

ところで、この立法の委任という問題では、授権規定たる法律が白紙委任であるとして違憲無効であるという場合と、委任された命令が委任の範囲を逸脱し無効であるという場合があると思われる。どちらにせよ権利制約がなされる命令の無効を主張するため、上記の様な判断をすることになるが、主張の構成としてどちらなのかを意識して検討することが大事ではないだろうか。

 

薬事法施行規則事件

さて、本事例の素材となっている薬事法施行規則事件では施行規則が医薬品の販売業者の郵便等販売方法を規制していることに対して新薬事法にこの規制を委任する規定は存しないとして規則の違法無効を主張したものである。

 

判例は新薬事法に郵便等販売方法を規制する趣旨を明確に示すものは存在しないことを認めている。そして、この判例のポイントと言えるであろう点として、規制を明確に示す規定がない場合、この規制が委任の範囲を逸脱していないというためには、授権規定の解釈をする上で、立法過程における議論を斟酌するとした点ではないだろうか。つまり、立法過程において当該規制がなされるべきであるという事が議論され、国会の意思として認められるのであれば、これに基づく委任立法として規則が適法という事ができるのである。さらに、判例ではこの様な立法過程を斟酌するとともに、規制により制約される国民の権利の重大性にも着目していると考えられる。そこで、今回の事例でも制約の対象となっている営業の自由についても考えてみよう。

 

営業の自由

 営業の自由は憲法上22条で保障されている職業選択の自由に含まれるとして、憲法上保障されている。つまり、営業の自由は職業選択の自由という人権をより広く解した場合の保障である。職業活動というものには、その職業を選択・開始すること(これと表裏一体なものとして職業の継続・廃止)とこの職業を特定の形態として遂行する若しくは活動の内容を決定するという構成になっており、その保護の重要性や制約の強度も変わるものと言える。

 

また、職業選択の自由は経済的自由に分類されるため、精神的自由権との関係においていえば緩やかに審査されると考えられるが、経済的自由においても規制の目的が消極目的規制(国民の生命身体に対する危険を防止するという目的の規制にであり、市場経済的視点からなされるものではないから国会の裁量権の範囲は制限的であり、裁判所の審査能力の範囲内として厳格に判断することが妥当な規制)である場合には、厳格な審査に付されるべきであるとも考えられる。この規制目的二分論は判例において破棄された理論とも言えるが、当事者の権利主張においてはいまだ有効な視点ではないだろうか。

 

 この営業の自由の制約としての判例は、薬局開設距離制限判決(最大判S50・4・30)において、薬局開設が許可制であり、許可条件たる距離制限によって薬局開設自体が認められないこととなるため、大きな制約的効果が生じるとしている。このことを前提に判例は厳格な審査基準により当該距離制限を違憲とした。

 

 

今回の事例では、通常であれば人権論として薬事法施行規則が郵便等販売方法により営業を行なっていた者の権利を制約するとして違憲の主張を構成することになろうが、問題文中にXの主張の骨子があり、これが委任の範囲を超える旨のものであることに注意して、営業の自由の制約という主張を当該規則の41条違反の主張のいち内容として展開するというテクニカルな方法を採ることになる。実際にこのような誘導がない限りは通常の主張の構成で良いと思われるが、判例がこの構成で規則の憲法違反の判断を回避したという点も含めて記憶に留めておけば良いかもしれない。

 

 

 

 

 

【刑訴9】別件逮捕と余罪の取調べ

今回は、事例研究 刑事法Ⅱ 刑事訴訟法 第3部問題3を素材に、別件逮捕と余罪の取調べについて考えてみようと思います。参考判例は、最決S52・8・9となりますが、百選掲載のものとして浦和地裁H2・10・12を挙げておきます。

 

別件逮捕について

まず、別件逮捕という問題について考えてみると、この問題は、被疑者の逮捕という身体拘束が憲法上も保障を受ける重大な権利侵害を伴うことを考慮して各別の令状を求めた令状主義を根拠とし、さらにこの逮捕が事件単位においてのみ認められるという事件単位の原則から、捜査機関が未だ逮捕の要件を具備できていない犯罪を本件として、右本件の取調べをすることを主たる目的とし、逮捕の要件を具備する別件において逮捕をすることが、上記主義ないし原則に反し違法となるのではないかという問題である。

 

つまり、別件逮捕の問題は、形式的には逮捕の要件を具備しているが、実質的には本件の取調べを目的とする本件逮捕であるから違法であるという考え方から導き出される。そして、違法となる別件逮捕による身体拘束中になされた被疑者の自白および得られた供述調書は違法な逮捕と不可分一体のものと認められ、違法性が承継されることでその証拠能力が否定されることになる。

 

この別件逮捕の問題には、別件基準説、本件基準説、実体喪失説等の学説の対立があり、実務においては捜査機関の逮捕の目的が本件取調べにあるなどの判断が困難となることもあり形式的な逮捕要件が認められれば原則として別件逮捕は適法となるとされているようである。我々が事例問題を解く上では事案によって柔軟に対応するしかないが、本件捜査が主たる目的であることが明白であるという事実がない限りは、適法とするほかないだろう。もっとも、本事例のように、一定の時以降の取調べが本件取調べのみが行われたといった事実が認められる場合には、やはり何らかの違法を主張するべきであるため、余罪取調べの違法という問題を指摘しつつ、別件逮捕の問題と余罪取調べの問題とをいかにリンクさせて処理するかを考えなければならないだろう。

 

余罪取調べについて

上記のように、一旦は別件逮捕が適法としても、その後の取調べが余罪たる本件の取調べを主眼に置かれている場合には、余罪取調べの問題として、違法性を帯びるのではないかということを問題とする。ここでややこしいと思うのは、この違法とは「別件逮捕が違法となる」のか「余罪取調べが違法となる」のかの区別である。上述のように、別件基準説によれば形式的要件を具備する別件逮捕は適法とされるはずであるが、後の取調べの態様によりこの適法が覆され、違法となるというのは何ともわかりにくい気がする。そうであれば、別件逮捕としての身体拘束は適法であるが、余罪の取調べについて違法性が生じ、結果として右取調べで得られた証拠についての証拠能力に影響を与えることになると考えた方が素直な気がする。もっとも、このように取調べの違法を問題とするためには、取調べの性質について考えてみる必要がある。

 

取調べは被疑者および参考人から捜査資料を得るために行われる捜査手続きであるが、これを根拠づける198条1項をみると、身体拘束をされていない被疑者については出頭および退去を申し入れることが可能とされ、やはり任意捜査の一つと読めそうである。もっとも、逮捕・勾留されている被疑者についてはこれが認められていないことから、一般に被疑者については取調べ受忍義務があると考えられている。もっとも、逮捕勾留が取調べを目的とするものではないことからも、逮捕勾留の必要がなくなった後に取調べを目的としては身体拘束を継続することは被疑者の権利を侵害するものとして違法性を帯びるであろう。

 

そして、逮捕について事件単位の原則が採られているとしても、これを後の取調べに及ぼし、一切の余罪取調べが許されないとすることは捜査活動の目的達成を阻害することになるし、余罪取調べを認めることで被疑者の身体拘束時間短縮というメリットも認められなくなるため妥当ではない。そこで、逮捕後の取調べについても事件単位の原則が適用されるとしてもいいこれを緩やかに適用すべきとして、右取調べを受けるか否かについて被疑者の自由が実質的に保障されている場合には適法となると考えるべきである。また、例外的に別件たる犯罪と本件たる犯罪との間の密接関連性が認められる場合には、余罪取調べが適法となる余地も認めるべきである。

 

 

本事例で言えば、別件たる侵入窃盗に対する逮捕は客観的資料に基づき適法になされており、本件たる強盗致傷の逮捕についても共犯者乙の供述等の別件における取調べ結果とは独立した客観的資料に基づきなされているため適法と言える。もっとも、侵入窃盗についての勾留延長後は主として本件たる強盗致傷の取調べがなされていたというものであるし、侵入窃盗と強盗致傷が密接関連性を有するとは言い難く、甲が右取調べについて抗議していることからも違法な余罪取調べということができる。したがって、この余罪取調べから得られた捜査報告書については証拠能力が否定されるだろう。前述の通りその後の強盗致傷に対する逮捕は適法であるからその後の取調べも適法と考えられる。もっとも、違法な余罪取調べにより得られた供述と同様の内容の供述であれば、違法性の承継および反復自白として証拠能力に影響を与えるかを考える必要がある。しかし、本事例では強盗致傷に対する逮捕が独立した客観的資料に基づきなされていることから、取調べ状況が何らの変化もないなどの事情がない限りは不可分一体の取調べとはいえず、違法性は承継しないものと考えるべきである。したがって、強盗致傷について逮捕後の取調べにより得られた自白調書については証拠能力が否定されるものではないと考えられる。

 

これらは浦和地裁判決の判旨といわゆる狭山事件の要旨を参考にしているが、結局のところ総合考慮に逃げてしまっていて不安が残る。

【民法9】継続的契約の解除、複合契約の解除

今回は、法学教室2016年7月号 演習 民法を素材に、継続的契約の解除と複合契約の解除について考えていこうと思います。参考判例最判H8.11. 12です。

 

 

今回は、法学教室2016年7月号 演習 民法を素材に、継続的契約の解除と複合契約の解除について考えていこうと思います。参考判例最判H8.11. 12です。

今回の問題は、オープンアカウントという方式でフランチャイズ契約が締結されたという事例であり、やや馴染みのない契約方式になってはいるが、基本的には深入りしなくても解答することができると思われる。問題となるのは、本件でAは、B社との上記フランチャイズ契約のみならず、C社との間で店舗αの賃貸借契約を締結しており、設問ではそれぞれいずれかの不履行を根拠に両契約の解除を行っているという点である。このような複合契約と解除の問題について、判例をもとに考えていこう。

 

付随的義務の不履行


もっとも、設問1では、上記の複合契約と解除という問題のみならず、付随的義務の不履行と解除という問題も含まれている。この点についての参考判例最判S36・11・21である。
設問1では、AがBに対して仕入れ代金の明細報告を再三にわたって求めていたがこれがなされなかった事を理由にフランチャイズ契約自体(およびCとの賃貸借契約)の解約をしている。債務不履行を理由とする解除においては、一つの契約から生まれる権利義務が複数になることがままあるため、いずれについて義務の不履行が生じた場合に解除が可能かという問題が生じる。そして、これは基本的には契約の目的に不可欠で、それが履行されなければ契約しなかったであろうと認められた場合に解除が可能であると考えられている。仮にこのような契約の目的に不可欠であるとは認められなかった場合には、当該義務は付随的義務に過ぎず、これが履行されなかったというのみでは解除をすることはできないと言える。
また、フランチャイズ契約のような継続的契約が前提となっている場合には、賃貸借と同様に不履行があったのみならず、信頼関係を破壊する程度と認められなければならないとも考えられている。本件で言えば、フランチャイズ契約において仕入れ代金の明細の報告についてはフランチャイズ契約のオーナーにとっては契約をするか否かの判断に大きな影響を与えるものであり、契約の要素といえ、再三の求めにも応じていないことからも信頼関係は破壊されたといってよいだろう。したがって、(Aとの関係において)契約の解除は認められる。

 

複合契約と解除


では、AがBとの契約を解除できるとして、不履行のないCと契約をも解除することができるだろうか。複合契約と解除問題について考えていこう。
ここで、この問題を考える上で重要な視点がある。それは、このようなAB間の契約(契約①)とAC間の契約(契約②)を別個に独立する契約と見るのか、それともこれら両契約は一つの大きな契約が締結されていると見るのかというものである。特に本件ではC社がB社の関連会社であって、B社とのフランチャイズ展開した店舗の賃貸を主としていることから、両契約ともにB社が主体となっていると見ることも可能であろう。もっとも、参考判例では同一の当事者間の複数の契約についても一つの大きな契約と見ることには消極的であり、別個独立の契約である事を前提としているため、やはり契約自体は独立していると考えて、両契約の密接関連性を考慮していくことが妥当であると考える。
両契約自体は別個独立のものであるが、これらが密接関連性を有していることから、一方のみの履行がなされたとしても他方において履行がなされずこれによって契約の目的が全体として達成できなくなる場合には一方のみの不履行でも両契約をいずれも解除することができると考えるべきである。上述した通り参考判例と異なる点とすれば、Aにとっての契約相手が同一ではないということであろう。もっとも、前述の通りBとCが関連会社であり、同一の相手方と同視することができる本件では、契約の密接関連性と目的不達成の要件を満たせば解除が可能であろう。
設問1と設問2では不履行の主体が異なるが、いずれにおいても契約の密接関連性と目的不達成が認められるから結論は異ならない。
設問3ではABCの三者でさらに店舗を増やすフランチャイズ契約(契約③④)を締結しており、この③についてAに不履行があった場合に、同様のフランチャイズ契約である①も解除することができるかということが問題となっている。確かにいずれも同様のフランチャイズ契約であるから関連性がないとは言えないがそれぞれの目的としては各店舗における利益であって、別個の目的であり密接関連性を有するとは言えない。さらに、既存のα店舗でのフランチャイズ契約で不履行がなされていないとすれば、③④契約が不履行となっても①②における目的は未だ不達成とは言えない。したがって、BおよびCがした①②の解除は無効となろう。

【行政法9】規制行政の分類、裁量基準の個別的審査義務

今回は、事例研究 行政法第2部問題11を素材に、規制行政の分類と裁量基準の個別的審査義務について考えてみようと思います。解説内には幾つかの素材判例が挙げられているが、今回のテーマについては福岡地判H3・7・25(控訴審はH4・10・26)のようです。

 

規制行政の分類

まず、設問1で問われている、伝統的な行政行為の分類に照らせば本事例における温泉掘削許可(温泉法3条1項)がいかなる性質があるかを考える。

 

このような行政行為の分類が問題となるのは、明文上の文言と行政法学上の分類とが一致しないことがあるためで、さらには行政行為の性質は事情の変化にともなって変わる可能性があるからでもある。この温泉掘削許可についても、これまでの分類とはことなるものであるとの主張もなされているところのようである。

 

そこで、許可や認可といった規制行政の分類とその定義を確認していこう。

 

まず、許可制とは、ある種の国民の活動を一般的に禁止した上で、国民からの申請に基づき審査を行い、一定の要件に合致する場合、禁止を個別具体的に解除する法的仕組みである。ここでポイントとなるのは、本来であれば自由である行為につき、原則禁止とするという点であろう。そのため、許可制の中でもその禁止の趣旨によって警察許可と公共事業許可という分類がなされる。

次に、特許制とは、国民が一般には取得しえない特別の能力または権利を設定する行為のことである。これは許可制とは異なり、国民にとって一般的に自由な行為を規制するのではなく、特定の行為をするための地位を付与するものである。

最後に、認可制とは、法律行為の内容を行政庁が個別に審査し、当該行政庁が効力を発生させる意思表示が法律行為の効力を補充して効力を完成させる仕組みをいう。認可制のポイントは、行政庁がする認可はあくまで法律行為の効力を補充し、完成させるものにとどまるという点であろう。

 

このように従来の行政行為の分類を確認して、温泉掘削許可について考えてみると、温泉掘削をしようとする者がこれを行えるようにするために行政機関に申請し、許可を受けることで温泉掘削をすることができるとされるものであるから、許可あるいは特許であると考えられる。この両者のうちいずれかは上記のように国民にとって一般的に自由とされている行為か否かという点が重要となるだろう。これを考えるためには許可の根拠法たる温泉法の趣旨目的および当該制度の運用状況等を参考にする。

 

たしかに、温泉法の1条をみると、温泉を保護し、災害を防止することで温泉の利用の適正を図るというある種の特許制度を目的としているとも考えられる。しかし、温泉掘削許可数の資料をみると、過去8年間において申請をしたが不許可とされた例は数が少なく、特別の地位を付与しているものは言い難い。つまり、一般的には自由である温泉掘削について、温泉を保護するためという公共目的によって原則禁止にし、このおそれのない場合にはその禁止を解除するという許可制が採られていると考えることができる。

 

なお、許認可等いずれに当たるとしても、行政手続法上の行政庁における応答義務および事前手続きの必要となる申請にあたる。

 

裁量基準の個別的審査義務

本事例では、温泉掘削許可の申請に対する不許可処分につき取消訴訟を提起するというものであるが、その本案において違法事由として主張することの中に、「裁量基準を機械的に運用し適用したことは違法である」という旨のものがある。これが意味することが、裁量基準の個別的審査義務というものである。

 

まず、前提として、本事例における温泉関係許可基準内規は上記のように温泉掘削許可の申請を判断するための内部的審査基準である。これは、行政手続法において作成および公表が義務付けられる審査基準と考えられる。このように許可をするか否かにつき行政庁に裁量権があると考えられる場合に、基準となるべき審査基準は裁量基準であり、行政規則に該当するため、国民に対する拘束力がないことは当然ながら、行政庁に対しても、これに反して処分を行ったとしても直ちに違法となるものではなく、当不当の問題が生じるのみと考えられている。しかし、このような裁量基準であるとしても一度基準を設定し国民に公表されたものに反することは申請者間の平等原則違反の疑いが生じると考えられるし、原則として、この基準に則った運用をすることが望ましいと考えられる。

 

以上は裁量基準と行政処分の原則的な運用についての考え方であるが、これとは異なり、裁量基準を形式的に適用することで妥当でない結論が出る場合には、裁量基準を適用せず、個別的な審査をすべきであるとする考え方が、裁量基準と個別的審査義務の問題である。この問題のポイントは、主張の中心はそもそも裁量基準を適用する前提とは異なるという旨である点である。つまり、裁量基準が設定された趣旨目的を考え、自らが申請した事情からすれば、当該裁量基準が設定された趣旨目的には当たらないもしくはこれと異なる等の主張ということである。

 

実際には素材とされた裁判例でもこれは認められなかったが、行政処分の違法性主張のひとつの手法としてチェックしておくべきものではある。

 

 

【刑法9】不正なパチスロ遊戯とメダル窃取の限界

今回は、事例から刑法を考える 事例19を素材に、不正なパチスロ遊戯とメダル窃取の限界について考えてみようと思います。参考判例は、最決H19・4・13と最決H21・6・29になります。

 

今回のテーマはパチスロ遊戯とメダル窃取という限定的なものですが、そもそもパチスロにおける遊戯とメダルの取得というシステム自体に複雑なところがあり、不正なメダル取得が窃盗に当たると考えた場合でも窃盗罪の構成要件に該当するかを検討する余地が多分にあることから、参考判例を確認して、考えていきましょう。

 

不正なパチスロ遊戯とメダル取得

パチスロ機からメダルを不正に取得するという行為が窃盗罪の構成要件に該当するかどうかについて、問題となる点を整理すれば、①パチスロ店内でメダルをパチスロ機から取得してもいまだメダルの占有を移転したとは言えないのではないかという点、②窃盗罪における窃取という概念との関係で問題がないかという点、③不法領得の意思のうち、権利者排除意思が認められるかという点、ということになる。

 

まず、①の点については、行為者がメダルを景品と交換するかゲームに再利用するかを自由に選択できるようになった点で、その占有を取得したと言える、というように説明が可能である。

 

また、③の点についても、不正に取得されたメダルを景品と交換する意思は、その交換価値の消耗を内容とする点で権利者排除意思といえると説明される。

 

このいずれの点もパチスロというシステム自体に不正に取得されたメダル等によっては景品交換は行わないという前提があることを意識することが大切であろう。不正に取得したものを変換する意思を有していたとしても、本来有する交換価値を見過ごすことはできず、これを消耗していることで権利者排除意思を肯定することができるだろう。

 

もっとも問題があるのが②の点である。窃盗罪における窃取とは、権利者の意思に反する占有の移転であり、この「意思に反する」という点をいかに解するかという問題でもある。不正は方法でメダルを取得しているのだから権利者すなわち店主の意思に反するということは当然に可能であろう。しかし、この意思に反するという点をこのように広く解することは不都合がある。すなわち、本事例においても、店内に「暴力団関係者、プロの方の入店禁止」という看板が掲げられているため、そもそも体感機を使わずともXおよびYがパチスロ機を使用してメダルを取得したこと自体も「意思に反する」と言えなくはないのである。このような場合に窃盗罪を成立することが妥当ではないことは明らかであるから、たとえ「意思に反する」としても解釈により何らかの限定をかけるべきなのではないかというのが、今回の②の点の問題である。

 

判例はこの点に関し「通常の遊戯方法の範囲を逸脱しているか否か」ということをキーワードにしているようである。つまり、権利者の合理的意思を解釈すれば、通常の遊戯方法によるメダルの取得は意思に反しないため窃取とは言えないが、これを逸脱した遊戯方法によりメダルを取得した場合には、権利者の意思に反するとして窃取を認めるのである。たしかにこのキーワードは「意思に反するか否か」についての指針を示しているようにも思えるが、実際に内容は不明確なままであって、何が「通常の遊戯方法の範囲」なのかは定かではない。結局のところ、それぞれの店舗の店主の意思というより、これを超えてパチスロという特殊なシステムの前提として許容されている遊戯方法を「通常の遊戯方法」として、これに反するような方法でメダルを取得することは権利者の意思に反するものだとするほかないだろう。

 

不正な方法でメダルを取得していたYを隠蔽していたXについて

さらに、以上の問題は実際に不正な方法を用いてメダルを取得した実行犯についての議論である。本事案では実行犯たるYの不正行為を隠蔽するためにプレーしていたXについての罪責も検討する必要がある。ここで、XとYが共同して犯行を計画し実行していることから窃盗の共同正犯が成立することは当然認められる。もっとも、Xが独自にプレーしていたのは通常の遊戯方法にほかならないから、Xが窃取した目的物はYが不正な方法により取得したメダルの範囲に限られると言わなければならない。つまり、Xが独自に取得したメダルについての窃盗罪の成立は否定される。

 

最決H21・6・29は本事例でのXのように不正な方法でメダルを取得する共犯者を隠蔽するために通常の遊戯方法でプレーしていた者について判断したものである。ここでは、原判決が通常の遊戯方法により取得したメダルについても窃盗罪の成立を認めていた点につき法令の解釈適用を誤ったものだとしている。もっとも、この点につき誤認があっても、刑訴法411条の適用はないとして上告を棄却している。

 

本事例では店員Zが逃げようとするYに対し暴行を加えたところYが頭を打ち意識不明になった(のちにこれを原因として死亡)後にZが腹いせにYを踏みつけ傷害を負わせたという過剰防衛についての量的過剰の問題も付け加えられている。量的過剰を判断する一体的判断のための事情については確認を要するが、問題を読んだ限りでこれが一体的に判断され過剰防衛となるとは思えないから、今回は取り上げなかった。

 

ただ、「単なる犯罪行為としての「傷害」より過剰防衛の「傷害致死」の方が実質的には有利な認定であり、しかも、単なる犯罪行為としての「傷害」であれば過剰防衛による刑の減免の余地はないが、過剰防衛の「傷害致死」であれば刑が減免される可能性がある。」という最決H20・6・25の調査官解説の記述は単純に不意をつかれた。

【民訴8】既判力の客観的範囲と争点効

今回は、事例演習民事訴訟法 事例16を素材に既判力の客観的範囲と争点効について考えてみようと思います。参考判例は、最判S44・6・24です。

 

本事例は、前訴においてYがXに対し係争地について所有権に基づく明渡請求を行い、これについてY勝訴判決を得た。しかし、その後XがYに対して係争地についての所有権の確認と所有権に基づく所有権移転登記手続請求を行ってきたというものです。そこで、Yとしては、係争地の所有権については前訴で判断されているとして後訴でXが自己の所有権を主張することは許されないとする主張を提出したいと考えているため、これにつき検討するものです。

 

このような既判力の問題は自分としても苦手なところがあるため、確認の意味も含めて考えていきたいと思います。また、争点効についても改めて理解するために判例とともに考えていきます。

 

既判力の客観的範囲

まず、同一の紛争について前訴での判断が後訴において拘束力を有するという場合には、既判力による遮断の有無を検討する必要があるでしょう。

 

そして、民訴法114条は、既判力の客観的範囲として、主文に包含するものに限るとしています。これは一般に、判決主文と一致する請求の趣旨のことであり、また、請求の内容たる訴訟物の存否についてであると考えられます。そして、判決理由中の判断とされるものには既判力は、例外として認められる場合を除き生じません。

 

このような既判力の客観的範囲を限定することの意義としては、当事者が攻撃防御をするうえで、最終的には訴訟物たる権利または法律関係の存否という点に集中させることが考えられ、攻撃防御にまで既判力が生じ、拘束力があるとすれば、攻撃防御についても慎重となり、不用意な萎縮を与える恐れがあるからです。また、裁判所の判断についても自由かつ迅速に行われる必要があることから、攻撃防御に関する拘束力を否定していると考えられます。

 

もっとも、既判力の客観的範囲を判決主文に包含されるものと限定することにより生ずる問題もある。それが本事例の想定するような場合であろう。

 

つまり、本事例における前訴での訴訟物は所有権に基づく土地明渡請求権であるが、これが認容されたとしても既判力が生じるのは土地明渡請求権の存在のみであり、Yが所有権を有する旨の判断は理由中の判断として既判力が生じないことになる。そして、この結果として、Xは後訴において自己の所有権を主張し、これの確認請求を求めることが可能となってしまうのである。そこで、このような場合に既判力とは異なる特殊な拘束力として主張されたのが争点効という理論である。

 

争点効理論

争点効理論は、前訴で当事者が主要な争点として争い、かつ、裁判所がこれを審理して下したその争点についての判断に生じる通用力で、同一の争点を主要な先決問題とした異別の後訴請求の審理において、その判断に反する主張立証を許さず、これと矛盾する判断を禁止する効力として、信義則または当事者間の公平を根拠に認められるべきであると主張するものである。

 

争点効の要件は①前後両請求の当否の判断過程で主要な争点となった事項についての判断であること、②当事者が前訴においてその争点についての主張立証を尽くしたこと、③裁判所がその争点についての実質的な判断をしたこと、④前訴と後訴の係争利益がほぼ同等であるか、前訴の係争利益の方が大きいこと、⑤争点効によって利益を受ける当事者の援用があることであるとされている。

 

本事例に則して考えれば、前訴と後訴との訴訟物は異なるが、「Xの係争地について時効による所有権の取得」という点は共通の争点となりうるもので、主要なものである。もっとも、本事例では前訴でXがこの主張を行ったうえで裁判所がこれにつき判断し、Y勝訴の判決を行ったかどうかが不明である。もし、Xが時効取得の主張を尽くしたにもかかわらず裁判所がこれを排斥していたとすれば、争点効を適用することができる場面であるといえそうである。

 

しかしながら、争点効理論が最高裁判例で明確に否定されているのも周知の事実であろう。これに対する新堂教授の批判は身震いするほどの痛烈さを持っているが、われわれ学生としては、判例ありきで考えるしかない。

 

では、争点効が否定されているとして他の主張が考えられないかといえば、やはり信義則による遮断という方法を考えるしかないのではないだろうか。争点効も同様に信義則を根拠にしているわけだが、判例としても信義則による遮断を認めているものもあるため、主張としてはこちらの方が安全だろう。

 

この信義則による遮断を主張する際にも、XおよびYが前訴で行った攻撃防御を検討し、すでにこれが尽くされているにもかかわらずこれを蒸し返すような後訴での主張かどうか、Yとして最終的な決着が前訴ですでについているという期待が保護されるべきかなどを考えていくことになるだろう。本事例で言えば、やはりXが時効取得の主張を前訴で行い、または行うことができたことが明らかになっていれば、後訴での主張を遮断することも可能ではないかと考える。

 

 

【商法8】違法な現物配当と株主の責任

今回は、事例から考える会社法 事例15を素材に違法な現物配当と株主の責任について考えてみようと思います。素材となった判例は不明ですが、百選掲載の裁判例として大阪地判H15・3・5が該当箇所のものです。

 

今回は、基本的には条文解釈が中心となる問題であるが従来の学説と立法者意思が食い違い錯綜しているところのようなので、自分の疑問もメモしながら確認していこう。

 

違法な配当に関する責任

本事例では、株主たるAが甲会社に負う責任について問われている。そして、Aが受けたものとすれば、甲会社からの現物配当としての乙会社の株式と、Aが申し入れたAの有する甲会社の株式の買取の対価ということになろう。

 

まずはAが甲会社から乙会社株式を配当として受けたことをどのように考えるか。そもそも分配可能額を超えてなされる配当が有効と言えるのか、無効なのかが今回の問題の中心となる。

 

条文を確認すれば、本事例におけるAが負うと考えられる責任は、会社法462条の責任である。この条文も非常に読みにくい条文である。

 

まず、1項柱書きを見ると、分配可能額規制違反によりなされた行為について責任を負う者を3種類規定している。それは、①金銭等を受けた者、②業務執行者、および③当該各号に定める者である。そして、受ける責任の内容は、当該金銭等の交付を受けた者が交付を受けた金銭等の帳簿価額に相当する金銭の支払い義務である。さらに、1項各号には分配可能額規制に違反してなされた行為類型が掲げられ、各号イ・ロに上記③に該当する責任を負う者が指定されている。

 

462条1項各号の行為類型は条文引用型で規定されわかりにくいため、確認しておくと、

1号は自己株式の取得、

2号は自己株式の取得価格の決定に基づく株式の取得、

3号は全部取得条項付種類株式の取得、

4号は所在不明株主等の株式の会社による買取り、

5号は1株未満の端数処理時としての会社による買取り、

6号は剰余金の配当である。つまり、分配可能額規制に反してなされた行為が上記のいずれかに当てはまるかを確認することになる。

 

本事例で言えば、現物配当として乙会社の株式を取得したことは6号にあたる。では、A所有株式の買取りによる対価の取得はどうであろうか。自分が悩むのは462条1項1号および2号の二択なのだが、そもそも、156条1項および157条1項の区別がよくわからない。同じものを規定しているように見える。だからこそ462条1項においても1号か2号かが判断できない。もし答案に書かざるをえない状況に陥れば、どちらも書くしかない気もする。解説を読んでも甲会社のAからの株式取得は156条・157条の自己株式の取得に当たると包括しているから答えになっていない。区別が重要でないのならそれでいいのだけれど、疑問は残る。

 

本題はそんな疑問ではなく、分配可能額規制に反してなされた違法な配当の効力の有無である。解説にある記述を整理すれば、立法者意思としては違法な配当でも有効であり、株主の善意・悪意に関係なく売却対価相当額を支払う義務を負う。もっとも、配当は有効であるから、現物配当の場合には当然に取得することができ、現物返還の必要はない。これに対して従来の学説は、違法な配当は無効であると考えていた。そして、これを前提に462条の支払い義務の性質をいかに考えるかで対立があった。考え方としては、現物返還義務を認めることが妥当ではないと考えるとすれば、462条1項を不当利得返還請求権の特則として、金銭の返還のみ認められるというものと、462条1項の義務として不当利得返還請求権が発生するのだと考えれば、原則現物返還を認めることになる。

 

また、Aが同時履行の抗弁を主張することができるかという点も問題である。立法者意思としては、これを封じるために有効と考えるとされている。無効説のうち、民法上の不当利得返還請求権が生じると考えた場合には当然同時履行の関係に立つ。462条1項が不当利得の特則であると考える立場からは、同時履行の抗弁を認めないということになる。

 

判例のないところであるから、いずれの考え方に立っても不正解とはならないという心強い田中亘教授の言葉を信じて、事例により株主を保護すべき要請が強いと考えれば、無効・不当利得の立場で全面的に保護をし、株主保護よりも会社債権者保護の要請が強いと考えた場合は、無効・不当利得特則の立場もしくは有効の立場で、といったように柔軟に考えてよいのではないだろうか。重要なことは、このような錯綜した議論が存在する問題だということを認識し、意識して書けることだろう。